【画像】ドスケベ野球マネージャーωωωωωωωωωωωωωωωωωωωωωωω
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節目の10年目
日本ハムの斎藤佑樹投手(31)が26日、東京都内のトレーニングジム「トータル・ワークアウト」で自主トレーニングを公開した。
今オフのテーマに掲げているのは「球速アップ」。体の「ねじり」を意識した最先端トレーニングでボディーを鍛え上げると共に、かつての理想のフォームを取り戻し、10年目の覚醒を目指す。
ケビン・山崎氏と取り組む
背水の覚悟でプロ10年目に向かう斎藤が、原点である真っすぐを磨き上げる。来季に向けたテーマに掲げたのは、球速アップ。
「今年のMAXが142、3キロぐらいだった。1キロでも速く投げたい」。求めるのは速さだけではない。強さ、キレも併せて追求する。
「そういうものが少しでも上がることで、自分の持ち味である変化球が生きると思った」とテーマ設定の理由を説明した。
上質の直球をつくり上げるため、ボディー強化に余念がない。シーズン終了後からほぼ毎日ジムに通い詰め、約2時間のトレーニングを継続してきた。
パーソナル・トレーナーのケビン山崎氏と取り組んでいるのは「ねじりの連動性のパワーアップ」。
股関節の内外旋の可動域が狭いといった課題を克服するため、ロープを使った器具などでインナーマッスルを強化。
可動域が拡大することで各部位の「ねじれ」が連動し、速くて強いパワーが生み出されるという。
ジム内に新設されたバイオメカニクスステーションを活用。トレーニングと動作解析を即時実施できる最先端トレーニングを導入し、実りのオフを過ごしている。
投球フォームの改善にも着手している。目指している姿は、他の誰でもない。過去の斎藤佑樹だ。参考にすべき他の投手を探したが、見つからなかった。
「自分に一番近い人が誰かと思った時、やっぱり自分自身だった。いい参考材料になれば」。
理想は早大1年時の投球フォーム。当時の映像と比較しながら「あの時」に必死に戻ろうとしている。
今季は11試合に登板も、防御率は4・71。2年連続で白星を挙げることができなかった。
「やっぱり結果で出さないと、この取り組みも意味がない。結果がいい形で出ればと思う」。
それは個人のため、そしてチームのためである。「優勝するためのワンピースになれるように、自分のポジションや役割をこなせるようにしたい」。
1年生ながら早大の優勝投手となった12年前のように。斎藤はもう一度、輝く。 (中田和樹)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191227-00010000-dospo-base
12/27(金) 6:01配信
http://npb.jp/bis/players/01905133.html
成績
子供たちからの質問に答えたイチロー氏
今年3月に現役を引退したマリナーズのイチロー会長付き特別補佐兼インストラクターが22日、愛知・豊山町の社会教育センターで行われた「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」の閉会式に出席した。
子供たちからの質問コーナーでは憧れの人物に、ソフトバンクの王貞治球団会長の名前を挙げた。
小学生からの質問コーナーでは「指導者講習を受けていましたが、イチローさんの指導はどこで受けられますか?」と、“弟子入り”を志願する少年が現れ
「みんながどこに進学するか分からないが。特定の学校に常勤しなければ、色んなところで『お願いします』と言われればどこにでも行くことができるので。
『聞きたいです』と言ってくれれば。あの時に質問した、僕ですと言ってくれれば、あっとなる。最後の会なので忘れることないので」と歓迎し会場を沸かせた。
その他にも小学生時代の練習方法はグラウンドでダッシュ、ピッチング、ティー打撃、フリー打撃を行い、一度自宅に戻り宿題をやり終え、
夜はバッティングセンターに通うルーチンを小学3年から6年まで毎日続けていたことを口にし「今思えば大きな基礎を築いた時期だった」と子供たちへ伝えた。
また、尊敬する人物を問われると「今は誰ってなると難しくなっちゃうね。そういう人とあまり会わないほうがいい。大人の話になっちゃうけど(笑)。
そういう存在はそういう存在として置いておくことが大事だと思っている」と苦笑い。
それでも「誰もが憧れる野球選手、人間としても憧れる野球界の先輩は王監督です。王貞治監督。王監督に会った人たちは皆好きになる。
僕に会った人は嫌いになる人も結構いる(笑)。野球界で真っ先に思い浮かぶのは王監督」と語っていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191222-00641244-fullcount-base
12/22(日) 14:20配信
(出典 Youtube)
09年3月9日 WBC イチロー 応援歌
きっかけは2019年1月に行なった日本外国特派員協会での会見だった。
この会見で筒香は、子供たちが置かれている野球環境の改善に向けて様々な角度からの提言を行った。そして質疑応答の中で、ある外国人女性記者が投げかけたのが、野球少年を息子に持つ、あるいは持ったことのある多くの母親たちの怒りだった。
「(日本の少年野球は)スポーツではなく武道のようなものではないか?」
こう問いかけた女性記者は、さらに子供たちだけではなく母親たちの抱える問題を訴えたのである。
「母親の置かれている環境、例えば夏休みの間、母親はずっと練習を観にいかなければならない。また指導者と子供のために100人分のお昼ご飯を作らなければならないということも私は知っている」
母親を悩ます“お茶当番”
筒香も自身の出身チーム・堺ビッグボーイズで父兄から聞いた話としてこう応じた。
「近くのチームに入ろうとしたら、あまりに(指導が)怖すぎて入部できなかったという声が多々ありました。また練習が長すぎて子供たちが遊びに行ったり、勉強する時間がない、また親も“お茶当番”があるので子供たちと出かけたり、お母さんたちが何かやりたいことが何もできないという声も聞きました」
このことを報じた文春オンラインの記事は大きな反響を呼び、その結果、筒香の元には母親たちから窮状を訴える“ファンレター”が届くようになった。
手紙の1つ1つに目を通して、筒香は改めて問題の根の深さを再認識したという。
「手紙を下さった中で、野球の指導者はほとんどいなかったですね。指導者の方で『僕も考え直さなくちゃいけないと思いました』というのは1人か2人くらいでした。後は男性だと、『僕も賛成しているので、良かったら仲間に入れてください、参加させてください』というものが多かった。ただやっぱりこの件に関して圧倒的に多いのは、野球をやっている子供を持つお母さん方からの手紙です」
それぐらいに母親たちにとり、子供に野球をやらせることの負担は大きく、その窮状を訴えたくても訴える場所もないということだ。だから筒香の発言を聞き、藁にもすがる思いで筆を執ったのだろう。
「お母さん方から来た手紙は、監督、コーチの車での送り迎えとか、昼ごはんの用意や来客へのお茶出しをする“お茶当番”のことが多かったです。監督はこのコーヒー、コーチにはこのお菓子とか決まっていて、それを用意しなければならない。しかも人数が多くないチームだと“お茶当番”が回ってくるのも早い。土、日は球場に行って何*るのが当たり前になっている。子供たちが夏休みでどこかに遊びに行きたいというときに、チームに相談すると、それなら辞めろと言われるので、野球しかできない。子供たちも好きなことができない。そういうお母さんからの訴えが多いです」
詳細はリンク先をご覧ください。
少年野球“お茶当番”への母親たちの怒りと苦しみ――筒香嘉智に届いた手紙
https://bunshun.jp/articles/-/22396?page=1
鷲田 康 文春オンライン 2019年12月26日
★野球とサッカーの対立を煽る、業者スレ立て人を芸スポ+から追放しよう★
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韓国史上最高の投手
1996年2月27日、ゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤・緑』が発売された。
当時、据置型ゲーム機のプレステやセガサターンが定着し、同年6月にはNINTENDO64も発売とゲームボーイはすでに一昔前のハードになりかけていたが、ポケモンのヒットにより息を吹き返す。
雑誌『コンティニュー』Vol.9掲載の開発者・田尻智インタビューでは、「もう打ち合わせをしていてもサターンをどうやって売るかって話で盛り上がってて。
だから『ポケモン』製作が一番佳境だったとき、世間的には時代遅れって言われたわけ。「いまゲームボーイのソフトを作ってる」って言うと、「なんで」って(笑)。
「もう終わりでしょ?」みたいなね」と95年から96年ごろのゲーム業界を振り返っている。あのヤンキースの田中将大も少年時代にポケモン緑で遊び、
のちに『ポケットモンスター サン・ムーン』のCM出演も果たしたが、88年11月生まれのマー君は初代発売時は小学校低学年のまさにポケモン直撃世代だ。
さて、そのころのプロ野球で話題を集めたのはひとりの韓国人右腕・宣銅烈(ソン・ドンヨル)である。
ヘッテ・タイガースの2年目には24勝6敗、防御率0.99と圧巻の成績を残し、
そこから7年連続含む8度の最優秀防御率、最多勝4度と名実ともに韓国史上最高の投手と称される国宝級の存在だった。
90年代に「日韓プロ野球スーパーゲーム」という両国の選抜チームが戦う日米野球的な興行があったが、初開催の様子を報じる『週刊ベースボール』91年12月2日号には
「キミはソン・ドンヨルを見たか!?」なんて派手な特集記事が掲載されている。練習中に右足首を痛め3イニングの限定登板だったが、5連続三振含む2安打無失点投球を披露。
空振り三振を喫した日本の四番・落合博満も、「(150キロ近い)ストレートには評判通りの威力があるし、スライダーは実に素晴らしい。
韓国No.1という評判はダテじゃない。すごい投手を見たよ」と脱帽した。
当然、NPB関係者も「日本でも15勝はできる」と怪物投手の獲得を目論み、その後もたびたび中日やダイエーが接触を図るが、
ヘッテ側は円高に乗じた札束攻勢は許さないと自国の英雄の流出に対し拒絶反応を示す。
92年にソンは右肩を故障しわずか11試合の登板に終わるも、30歳で迎えた93年にクローザー転向すると、49試合で10勝3敗31セーブ、防御率0.78と復活。
ソン本人は「できることなら中日か巨人で投げてみたい」と新たなチャレンジに前向きだったが、球団オーナーが会見を開き一方的に残留発表したことに不信感を募らせ、
95年オフにはついにソンが「日本でやらせてくれないならユニフォームを脱ぐ」宣言。
マスコミやファンが11年間もヘッテに貢献したのだから夢をかなえてやればいいと後押しして、2~3年後に球団に戻るという条件付きで日本移籍が認められる。」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191225-00000004-baseballo-base
12/25(水) 11:01配信
(出典 www.sponichi.co.jp)
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/show_img.php
(出典 www.nikkansports.com)
(出典 net-kousien.com)
http://npb.jp/bis/players/91493882.html
成績
(出典 Youtube)
1996宣銅烈vs落合博満
(出典 Youtube)
【伝説】 イチローvs宣銅烈 両国史上最高同士の死闘
(出典 Youtube)
燃えよドラゴンズ1998