令和幕開け 「ご即位」スポーツ愛する新天皇の素顔 - SANSPO.COM 皇太子さまは1日、第126代天皇に即位された。新たな元号「令和」の時代が始まった。陛下が皇太子時代にベトナムを訪問された際に案内役を務めた歌手で俳優、杉 ... (出典:SANSPO.COM) |
昭和時代は国民の代表スポーツが野球だったが平成になりスポーツの多様化により野球の人気が落ちてしまった。
さあ令和は野球復活とともにスポーツ大国となれるように願うのみだ
スポーツ発展に向け Lets GO JAPAN
陛下が野球に興味を持ったのは、学習院初等科の2年生だった67年ごろ。東宮侍従として教育係を務めた浜尾実さんの
著書「殿下とともに」によると、「チーム・プレイの大切さを野球を通じて感じ取ってほしい」と思った皇太子時代の
上皇さまが「ナルちゃんも、やってみますか?」と提案。東宮御所でキャッチボールをするようになったという。
「最初の記憶」にある静商の試合は、その翌年の夏だ。第50回記念大会の開会式には上皇ご夫妻が臨席し、
上皇さまは球児たちに「どうか力いっぱいのプレーを」と呼びかけている。
陛下が「ぼくもユニフォームが欲しい」とおねだりしたのは、4年生になった69年のことだった。浜尾さんの
著書によると、美智子さまはすぐには買い与えず、「クリスマスまで待ちましょうね」と、2~3カ月我慢させたという。
さらにその翌年、ユニホームを披露する機会があった。陛下がその時、「巨人のユニホームを着てきた」と話す
のは、浜松市北区に住む青山勤也さん(59)だ。ご一家が静養のため浜名湖畔の一軒家に滞在した70、71年の
夏、陛下は青山さんがいた近くの西気賀小学校のソフトボールチームに加わって練習や紅白戦に出た。「地元の子と
ふれ合う機会を」という美智子さまの意向で、「服も同じものを」と、小学校のユニホームに着替えて参加したという。
最初の年、陛下の守備位置は外野だった。青山さんは「どの程度できるかわからないから外野になったけど、けっこう
上手だった」。2年目は三塁手。遊撃手寄りに転がった三遊間のゴロも正確に一塁に送り、「上手にさばいていた」という。
陛下は28歳だった88年、70回記念大会の始球式でマウンドに上がった。2009年の91回大会でも開会式に
出席している。昨年のあいさつでは「高校野球の歴史の一部をこの目で垣間見る機会を得られたことは、とてもうれ
しいことでした」と述べた。
青山さんは、皇太子時代の天皇、皇后両陛下が浜名湖を再訪した2003年、ソフトボールのメンバーと再会した
ことが印象に残っている。一塁手だった同級生が「殿下に足を踏まれました」と話すと、陛下は「そんなことありま
したっけ。時効ですね」と笑顔を見せたという。
その際、陛下は皇后雅子さまがソフトボール部だったことに触れ、「雅子もキャッチボールがうまいんですよ。
ぼくより上手かもしれない」と語ったという。青山さんは言う。「雅子さまが疎外感を感じないよう、上手に全員に
合う話題にした。つまり、優しいんだよ」(矢吹孝文)
陛下が見せた正確な一塁送球 思い出話に「時効ですね」
https://digital.asahi.com/articles/ASM573GN6M57UTPB005.html